HISTORY

一点鐘物語

– 青年ノルウェーへ行く –

70年代初頭、真冬のノルウェーにセイルバック1つという身軽さで出かけた青年は、余りの寒さに震え偶然見つけた小さな船具店に駆け込んだ。

その青年はヨットレースの為にノルウェーに来ていた。ヨットレースの為のウェアは用意していたのだが、当時の日本の防寒着と言えばセーターの上にゴム引きカッパぐらいのものしかなかった。
しかし、北欧の寒さは日本人の想像を超えていた。

一点鐘物語

その時に船具店で手に入れた一枚のファイバーパイル製のジャケット。 それが、青年とヘリーハンセンとの最初の出会いとなった。極寒の海でいかに暖かく過ごせるかに着目したヘリーハンセンウエアの性能には、厳しい北欧の自然の中で培われた海に対する哲学が封じ込まれていた。

その時、青年は”衣料の革命”を確信した。

帰国後も青年の頭の中にはそのウエアのことしかなかった。 どうしたら日本のヨットマンに着てもらえるか、そればかりを考えていた。
結論は当たって砕けろ、とばかりに青年は無謀にもヨーロッパの伝統ある大企業に飛び込むことにした。

まともにアポイントも取らずに再びノルウェーまで来た青年は、タクシーを乗り継ぎヘリーハンセン本社の正門まで辿り着いた。
門から遥か彼方に見える社屋。歩き始めたのはいいが、雪は深く青年の胸まで達していた。 雪は青年の意欲を掻き消しかけたが、いまさら引き返すこともできず勇気を振り絞って歩き続けた。
やっとの事で社屋までたどり着いた時、すでに辺りは夕闇に包まれていた。

ヘンリーハンセン

そこで運良く、青年はヘリーハンセン社の社長が帰宅するところに出会わせた。 社長は日本からはるばる来た青年を暖かく迎え入れてくれ、自宅に招待してくれた。
青年は一宿一飯の恩義にあずかることになった。
そんな社長の人柄にも深く感銘した青年は、船具店で見つけたヘリーハンセンのジャケットとの出会いから、 自らもヨットマンの一人として日本のヨットマンがどれほどこのウェアを必要としているかを告げ、 ヘリーハンセンウェアを日本で普及させたいという夢を熱く熱く語った。

その時の青年の話はおよそ通常の商談とはかけ離れたもので先方は大いに驚き戸惑ったと、後に聞かされることになる。

とにもかくにも青年の熱意は社長に伝わり、正式にヘリーハンセンウェアは日本に上陸することとなった。

– 山本通り沿いの
レストランの片隅で –

レストラン「あら皮」 日本一と言われた神戸の高級レストラン。
そこのオーナーである山田社長と青年の出会いは須磨ヨットハーバーだった。
愛車の、日本に1台しかないランボルギーニを豪快に乗り回し、愛艇はピアノフィニッシュのレースボートで、船尾にはオスローヨットクラブの旗を掲げていた。船上にてパラソルを掲げて日光浴をする姿は何もかも目新しく、すべてが刺激的で青年が憧れを抱くには十分な存在だった。

山田社長の格好はいつも油だらけのワークシャツにジーンズ姿だった。
だが、靴だけはいつもピカピカに光っていた。
曰く、「男は、靴だけは一流のものを履け!そして連れてる女で男の価値は決まるんや!」・・・・・等々。
青年はいつも山田社長の話を夢中になって聞いた。特に料理と芸術の話は本物であった。
ヨーロッパでの料理人の地位がいかに高いかということを聞かされ、見たこともない珍しい本もたくさん頂いた。 日常では行けないような場所にも事あるごとに連れて行ってもらい、随分とかわいがってもらっていた。
当然、その後の青年の人生に大きな影響を与えた。

一点鐘物語

ある時山田社長が
「お前のいつも言うてるその“マリンショップ”とやら、ここで始めたらええがな。事務所は奥の倉庫を使えばええやん。家賃はもうかってからでええ。」
そんな軽い話だった。

レストランあら皮の支店、レストラン“砂時計”。
神戸三宮・山本通り沿いにあったそのレストランの片隅、入り口横に1坪くらい。
かくして“マリンショップ”の場所は決まった。

青年は折れたブーム、ロープ、ブロック、ウインチやワイヤーなどの艤装品を使って什器を作った。
看板はヨットの船尾を模した木製のものをマスト素管に吊るす。
こうして青年の希望に満ち溢れた“マリンショップ一点鐘”は完成した。

一点鐘物語

U348ヘリコプタージャケット、一点鐘で最初に取り扱った思い出深いジャケットです。

いくら小さな店とは言え、マリンショップと銘打ったからにはヘリーハンセンだけではさみしい。
欧米に買い付けに行きたいのはやまやまだが、そんな余裕もない。
そこで関東に買い付けに行くことにした。
関東には、三浦半島の油壺ボートサービス、横浜の中村船具、都内の日本船具など当時関西には無かった船具屋さんが存在した。
そこで見るヨット部品や用品はどれもこれも新鮮で魅力的だった。

青年はデッキシューズやマリンブーツを中心に、セイルバッグなどの商品を分けてもらった。
早く持ち帰って売りたい!というよりヨット仲間に見せて自慢したい!!
そんな一心で青年は神戸に帰ってきた。

「一点鐘」の由来

我々の社名「一点鐘」の由来は事の始まり、
初心忘れるなかれといった意味を込めています。

点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音です。
4時間(八点鐘)単位にワッチ(当直)を組み、航海を続けた帆船時代の習慣です。
時間は0時30分に一点鐘が鳴り、その後30分毎に二点鐘~三点鐘と続き
八点鐘でまた一点鐘に戻り、このサイクルを繰り返し0時0分に八点鐘となります。
点鐘の音を聞きながら帆船時代を偲んで頂ければ幸いです。

00:30 04:30 08:30
一点鐘
12:30 16:30 20:30

01:00 05:00 09:00
二点鐘
13:00 17:00 21:00

01:30 05:30 09:30
三点鐘
13:30 17:30 21:30

02:00 06:00 10:00
四点鐘
14:00 18:00 22:00

02:30 06:30 10:30
五点鐘
14:30 18:30 22:30

03:00 07:00 11:00
六点鐘
15:00 19:00 23:00

03:30 07:30 11:30
七点鐘
15:30 19:30 23:30

04:00 08:00 12:00
八点鐘
16:00 20:00 00:00

取り扱いブランドのご紹介

dubarry(デュバリー)

dubarry
(デュバリー)

1930年代にアイルランド西海岸で手縫いモカシン専門の靴店として一歩を踏み出したデュバリー。
その後、機能性を重視したマリンシューズの製造にも携わるようになりました。

何世代にもわたり引き継がれ蓄積してきた精巧な職人技と近代的な専門技術を集約して、最も過酷な環境下での
使用にも耐えうる世界トップレベルの靴を送り出してきました。
もちろん、材料の選定から完成靴の目視検査に至るまで常に品質を重視。

70年以上の歴史に刻まれた熟練した靴づくりの技は、世界のヨットレースで活躍するトップセーラー信頼されており、
履く人の想いに必ず応えてくれます。

HENRI LLOYD(ヘンリーロイド)

HENRI LLOYD
(ヘンリーロイド)

1963年に創業したヘンリーロイドはその直後から、フランシス・チチェスター卿やロビン・ノックス・ジョンストン卿など
伝説的な冒険家たちに、 そしてボルボオーシャンレースやアメリカスカップをはじめ数多くのヨットレースにおいても
ヨットチームやセイラーたちにウェアを供給してきました。

近年ではオリンピックで四大会連続金メダルを獲得した「ベン・エインズリ」とパートナーシップを結び、
彼らからのフィードバックに基づき、最先端の技術が注ぎ込まれた革新的なアイテムを開発。

その伝統と経験に裏打ちされたヘンリーロイドのセーリングウェアは、世界中のセイラーたちを魅了し続けています。

また快適なセーリングをもたらす高機能素材と運動性を損なわないシャープなデザインは
ファッションの世界からも注目を浴び、さらに世界最速を競う自動車レース・フォーミュラ1でのスポンサーシップなど、
ヘンリーロイドの視線は洋上を超えて広がっています。

HELLY HANSEN (ヘリ―ハンセン)

HELLY HANSEN
(ヘリ―ハンセン)

ヘリーハンセン(HELLY HANSEN)はノルウェーのアウトドアブランド。マリンウエアはもちろんのこと、
アウトドアウエア、ライフスタイルウエアまで幅広く展開しています。

ブランドコンセプトは「from ocean to mountain」。
海から山までサポートするトータルアウトドアコレクションを展開。
130年以上の長い歴史を持つヘリーハンセンのコレクションは、そのウェア開発で培った技術による機能性、
スカンジナビアンテキスタイルをモチーフとしたデザインが特徴です。

SHIP’S BELL (シップズベル)

SHIP’S BELL
(シップズベル)

日常の生活の中にも海を感じたい。

そんな想いからMARINEやBEACHをコンセプトに立ち上げたプライベートブランド。
メイド・イン・ジャパンにこだわり国内で企画し少量で生産すること。
商品をたくさん作りすぎない。
良いモノを長く、安心して使っていただきたい。

普通のことなのに、現代では難しくなっていることに取り組んでいます。